こんにちは、アウレリウス太郎です。
ここでは、論語の引用文から、私が学んだことを
発信していきたいと思います。
今回は、「知らない」ことを「知る」ことが大切なのですについて、書きますね。
論語の引用文
論語には、このような記載があります。
先生がいわれた。
「論語」斎藤孝訳 ちくま文庫
「子路よ、お前に『知っている』とはどういうことかを教えよう。はっきりとわかっていることだけを『知っている』こととし、良く知らないことは『知らない』こととする。このよう『知っていること』と『知らないこと』の間に明確な境界線を引ければ、本当に『知っている』と言える」
この「子路」は「孔門十哲」の一人であり、孔子の弟子です。
「孔門十哲」とは、孔子の弟子の中でも最も優れた10人の弟子を指します。
アウレリウス太郎は、ここから以下のようなことを学びました。
「知らない」ことを「知る」ことが大切なのです
「知らない」ことを認めたくない
誰かと会話をしていて、このように相手に言われたらどう思いますか?
「えっ、〇〇さん知らないの?」
つい、条件反射で否定してしまうのではないでしょうか。
何故でしょう?
それは、「知らない」ことが恥ずかしい、「知っている」と見栄を張りたい、からだと思います。
「知らない」ことを「知っている」とすることは、間違っていますよね。
知ったかぶり
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥
これらはよく聞く言葉ですが、「不知の自覚」という言葉は皆さんご存じでしょうか?
ソクラテスの「不知の自覚」
「不知の自覚」という言葉は、古代ギリシャのソクラテスという哲学者が唱えた考え方です。
ソクラテスという名前、一度は聞いたことがあるのではないかと思います。
知らないことを自覚すること、ソクラテスも孔子と同じようなことを言っていたのですね。
この二人が言っているのだから、真理なのでしょう。
まとめ
論語より「知らない」ことを、恥と思わず素直に認めることの大切さを再認識しました。
今回のブログは以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Good Thinking,Good Life.