あなたの環境で人は判断しない、あなた自身で人は判断する

論語アイキャッチ

こんにちは、アウレリウス太郎です。

ここでは、論語で私が学んだこと、

いわゆる古典でリスキリングしたこと

発信していきたいと思います。

今回は、あなたの環境で人は判断しない、あなた自身で人は判断するということについて、書きます。

目次

論語の引用文

論語には、このような記載があります。

先生は弟子の仲弓を評してこういわれた。
「まだら牛は神の犠牲(いけにえ)として用いることはできないが、その子どもが赤い毛で角が完全なら、親がまだらだという理由で技師に用いない人がいたとしても、山や川の神はその子を捨ておかないだろう(仲弓の父の身分はいやしくとも、仲弓のような賢才は世に用いられるだろう。人の価値は生まれでは決まらない。当人の徳と才によるのだ)」

「論語」斎藤孝訳 ちくま文庫

アウレリウス太郎は、ここから以下のようなことを学びました。

あなたの環境で人は判断しない、あなた自身で人は判断する

引用文の意味について

仲弓(きゅうちゅう)という人がどういう人物であったか、調べてみました。

孔門十哲の一人で、人格が高い人であったようです。

こちらの引用文の意味を、読み解いていきましょう。

まだら牛というのは、良くないものの例えとされています。

神様へのいけにえとしてふさわしくないとされていたようです。

一方、赤い毛で角が完全な牛は、非常に良い牛とみなされていました。

ここからが本題です。

まだら牛の子が、赤い毛で角が完全な牛でした。

子牛は、どういう風にみなされるでしょうか?

まだら牛の子だからと言って、軽蔑するひともいるでしょう。

しかし、神様はそんなことはありません。

父牛は父牛、子牛は子牛。

父牛が良くないからと言って、子牛が素晴らしければそれなりの扱いをしてくれます。

あなたの環境で人は判断しない、あなた自身で人は判断する

孔子がまだら牛の例えで弟子たちに伝えたかったことは、きっとこういうことでしょう。

「あなたの環境で人は判断しない、あなた自身で人は判断する」

お父さん・お母さん・兄弟・友達が良くないであっても、あなた自身の評価も悪くなることはありません。

逆も同じことが言えます。周りの人にどんなに素晴らしい人が居ても、

あなたが良くない行動を起こしているのなら、あなたの評価も良くないでしょう。

では、我々はどうすべきなのでしょうか?

あなた自身、今なにをすべきか考えてはみませんか?

私たちは、今なにをすべきか考えなくてはいけないのでしょう。

良くある会話で、

「俺の親父は偉いんだ」
「あの有名な社長、連絡先知ってるぜ」


こんなこと、どーでも良いのですね。

与えられた役割、例えば学生だったら勉強や友達との遊び、

社会人だったら仕事に邁進しなくてはいけません。

今なにをすべきか考え、今出来ることに取り組みましょう。

今回のブログは以上になります。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Good Thinking,Good Life.

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